おきらくまたーり島。
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ここでは、
気を遣わずに、
自分のことだけ
書くことにしました
いちど、リセットして
なんか、ショウアップしようとか
思ったりもしてたけど
それは、
ほかでやることにしたし
人も
ほとんど こないし
時々、行き場が無いので
そういうとき、ここへ書くかなって
気を遣わずに、
自分のことだけ
書くことにしました
いちど、リセットして
なんか、ショウアップしようとか
思ったりもしてたけど
それは、
ほかでやることにしたし
人も
ほとんど こないし
時々、行き場が無いので
そういうとき、ここへ書くかなって
いらだってくるような出来事を
なにかにつけて、思い出す
イロイロ、言う人間
諭したりしてくる人間は
云って、事態が悪化しても責任を負わない
どんなことだって、
当人がする選択には ちがいないから
しょうがないんだけど
うまくいったら、言ったものの 「おかげ」
うまくいかなかったら、「せっかく、言ってやったのに」
って、
なる
その時のことは、あまりにもショックだったので
うろおぼえになってるんだけど
ばーさんのことで、いろいろ、まわりにいるものにしか出来ないことも
無理なことまで
つとめているのに、ばーさんの云ってることを鵜呑みにするみなさんは、
そんなことを なんにも 知りはしないで 勝手なことばかり
云ってるって、
叔父に 云ってしまったことがあった
そのとき、
人間の価値は
他人が決めるんだ
(だから、文句を云わず、他人(祖母&親戚)への奉仕につとめよの意)
って、
叔父にいわれて
そのあと、大泣きして
母に自殺するんじゃないかと
心配されたことがある
あのとき、
なにかの ぜんぶが見えた気がした
他人の評価には 価値が無い
わたしは だれかの善意が見えない愚か者には なりたくない・・・
なにかにつけて、思い出す
イロイロ、言う人間
諭したりしてくる人間は
云って、事態が悪化しても責任を負わない
どんなことだって、
当人がする選択には ちがいないから
しょうがないんだけど
うまくいったら、言ったものの 「おかげ」
うまくいかなかったら、「せっかく、言ってやったのに」
って、
なる
その時のことは、あまりにもショックだったので
うろおぼえになってるんだけど
ばーさんのことで、いろいろ、まわりにいるものにしか出来ないことも
無理なことまで
つとめているのに、ばーさんの云ってることを鵜呑みにするみなさんは、
そんなことを なんにも 知りはしないで 勝手なことばかり
云ってるって、
叔父に 云ってしまったことがあった
そのとき、
人間の価値は
他人が決めるんだ
(だから、文句を云わず、他人(祖母&親戚)への奉仕につとめよの意)
って、
叔父にいわれて
そのあと、大泣きして
母に自殺するんじゃないかと
心配されたことがある
あのとき、
なにかの ぜんぶが見えた気がした
他人の評価には 価値が無い
わたしは だれかの善意が見えない愚か者には なりたくない・・・
15年前の いまごろ、
義兄は 危篤だった。そして、そのまま帰らぬひととなった。
前日、もう、亡くなってしまうかもしれないというので、
体調がすぐれないのを おして、
一時間半、バスにゆられて、病院へ向かった。
病室にはいると、もう、ただ、生きているだけの義兄がいて
そのまわりを、義兄の親戚たちがぐるっととりかこんで、
床のうえに、新聞紙をしいたりして、すわりこんでたり、して
とまりこみで、義兄が終わってしまうのを待っていた。
わたしは、もう、義兄の近くに行くことも出来なかった。
そこに、何分いただろうか
すぐに、姉と共に、病室を出て、何を話したのか、おぼえてないけど
姉の用事の付き合いをしたあと、病室にもはいることが出来ないし
姉やら、まわりの誰だったか忘れたけど、だれかのすすめで
家にかえることにした。
お昼ごはんを食べていなかったので、
駅前の古びた店で、伊勢うどんを食べた。
食欲がなかったのに、おいしくて全部食べられて
ほっとしたことを覚えている。
家にたどりつくと、とっぷり日が暮れていた。
それっくらい病院は遠かったのだ。
ご飯をたべて、お風呂に入って、出てきてすぐに、訃報が入った。
それで、すぐ、
髪の毛もかわかせないまま、
義兄の家の片づけを手伝いに行った
花冷えでまだ、冷たく
ぬれた髪のままでいて
わたしは、閉口した
結局、義兄の方の親戚、近所が
山のように来ていて、
殆ど手を出すことができないまま
つめたい戸外に 突っ立っているしかできなかった
すると、そこに、義理のオバがいて、
私が何も言っていないのに
「体調がわるいからといって、
薄情なことをいって、手伝いを怠けてはいけない」と
しつける口調で私に諭してきた
・・・・・・
そのあと、
家に、めいたちをのこしてきていたので、
なにもすることがないからと、
いったん、家にひきあげることにして
帰宅をしたのだった。
・・・・・
義兄がなくなってから
何年もたたないうちに、
義兄の ご両親が亡くなっていて
命日が混乱してわからなくなるため
母が、メモに書いてこたつの板のしたに入れている
そこに、22日が 義兄の命日だと書いてあったけど
今日、姉に電話したら、23日だと いいはっていた
どっちが、本当なんだろう。
義兄は 危篤だった。そして、そのまま帰らぬひととなった。
前日、もう、亡くなってしまうかもしれないというので、
体調がすぐれないのを おして、
一時間半、バスにゆられて、病院へ向かった。
病室にはいると、もう、ただ、生きているだけの義兄がいて
そのまわりを、義兄の親戚たちがぐるっととりかこんで、
床のうえに、新聞紙をしいたりして、すわりこんでたり、して
とまりこみで、義兄が終わってしまうのを待っていた。
わたしは、もう、義兄の近くに行くことも出来なかった。
そこに、何分いただろうか
すぐに、姉と共に、病室を出て、何を話したのか、おぼえてないけど
姉の用事の付き合いをしたあと、病室にもはいることが出来ないし
姉やら、まわりの誰だったか忘れたけど、だれかのすすめで
家にかえることにした。
お昼ごはんを食べていなかったので、
駅前の古びた店で、伊勢うどんを食べた。
食欲がなかったのに、おいしくて全部食べられて
ほっとしたことを覚えている。
家にたどりつくと、とっぷり日が暮れていた。
それっくらい病院は遠かったのだ。
ご飯をたべて、お風呂に入って、出てきてすぐに、訃報が入った。
それで、すぐ、
髪の毛もかわかせないまま、
義兄の家の片づけを手伝いに行った
花冷えでまだ、冷たく
ぬれた髪のままでいて
わたしは、閉口した
結局、義兄の方の親戚、近所が
山のように来ていて、
殆ど手を出すことができないまま
つめたい戸外に 突っ立っているしかできなかった
すると、そこに、義理のオバがいて、
私が何も言っていないのに
「体調がわるいからといって、
薄情なことをいって、手伝いを怠けてはいけない」と
しつける口調で私に諭してきた
・・・・・・
そのあと、
家に、めいたちをのこしてきていたので、
なにもすることがないからと、
いったん、家にひきあげることにして
帰宅をしたのだった。
・・・・・
義兄がなくなってから
何年もたたないうちに、
義兄の ご両親が亡くなっていて
命日が混乱してわからなくなるため
母が、メモに書いてこたつの板のしたに入れている
そこに、22日が 義兄の命日だと書いてあったけど
今日、姉に電話したら、23日だと いいはっていた
どっちが、本当なんだろう。
やっぱり、思ってたことは 無理だったかな
かなしすぎて やばくなってても
誰にも 話してはいけないので
それで どこかに 漠然とした形で 埋めてきたけど
それなら 決意しなくちゃ
かなしすぎて やばくなってても
誰にも 話してはいけないので
それで どこかに 漠然とした形で 埋めてきたけど
それなら 決意しなくちゃ
さみしい
って、ヒトコト書くと
見たひとの数
ごめんなさい って 書かなきゃいけない
そんなことしていても
さみしさは
消えないし 倍増してく
って、ヒトコト書くと
見たひとの数
ごめんなさい って 書かなきゃいけない
そんなことしていても
さみしさは
消えないし 倍増してく