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おきらくまたーり島。

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15年前の いまごろ、
義兄は 危篤だった。そして、そのまま帰らぬひととなった。

前日、もう、亡くなってしまうかもしれないというので、
体調がすぐれないのを おして、
一時間半、バスにゆられて、病院へ向かった。

病室にはいると、もう、ただ、生きているだけの義兄がいて
そのまわりを、義兄の親戚たちがぐるっととりかこんで、
床のうえに、新聞紙をしいたりして、すわりこんでたり、して
とまりこみで、義兄が終わってしまうのを待っていた。

わたしは、もう、義兄の近くに行くことも出来なかった。

そこに、何分いただろうか


すぐに、姉と共に、病室を出て、何を話したのか、おぼえてないけど
姉の用事の付き合いをしたあと、病室にもはいることが出来ないし
姉やら、まわりの誰だったか忘れたけど、だれかのすすめで
家にかえることにした。

お昼ごはんを食べていなかったので、
駅前の古びた店で、伊勢うどんを食べた。
食欲がなかったのに、おいしくて全部食べられて
ほっとしたことを覚えている。

家にたどりつくと、とっぷり日が暮れていた。
それっくらい病院は遠かったのだ。

ご飯をたべて、お風呂に入って、出てきてすぐに、訃報が入った。
それで、すぐ、
髪の毛もかわかせないまま、
義兄の家の片づけを手伝いに行った
花冷えでまだ、冷たく
ぬれた髪のままでいて
わたしは、閉口した

結局、義兄の方の親戚、近所が
山のように来ていて、
殆ど手を出すことができないまま
つめたい戸外に 突っ立っているしかできなかった

すると、そこに、義理のオバがいて、
私が何も言っていないのに
「体調がわるいからといって、
 薄情なことをいって、手伝いを怠けてはいけない」と
しつける口調で私に諭してきた

・・・・・・

そのあと、
家に、めいたちをのこしてきていたので、
なにもすることがないからと、
いったん、家にひきあげることにして
帰宅をしたのだった。


・・・・・






義兄がなくなってから
何年もたたないうちに、
義兄の ご両親が亡くなっていて

命日が混乱してわからなくなるため
母が、メモに書いてこたつの板のしたに入れている

そこに、22日が 義兄の命日だと書いてあったけど
今日、姉に電話したら、23日だと いいはっていた



どっちが、本当なんだろう。



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